■藤堂高虎が西の備えに築いた高石垣で有名な伊賀上野城を 1/300サイズのペーパークラフトとして再現しました。
■伊賀上野城は、上野台地の北部にある標高184mの丘に築城された平山城です。北には服部川と柘植川、南には久米川、西側には木津川が流れ、城と城下町を取り巻く要害の地にあります。
■城は織田信雄の家臣、滝川雄利が平安時代に建立された平楽寺の跡に砦を築いたのがはじまりで、その後1585年(天正13年) に筒井定次によって改修をされました。
■ 藤堂高虎が伊賀、伊勢に移封されたのは1611年(慶長16年)。家康の信任厚く、築城の名手でもあり、来るべく大坂との決戦に備えたものでした。筒井定次の城は、大坂城の出城として大坂を守る形をとっていたのに対し、高虎の城は、大坂を攻撃するための城と全
く逆の立場の城として、本丸を西に拡張、高さ 約30メートルという高石垣をめぐらして南を大手としました。建設中の五層の天守は、1612年(慶長17年)9月2日に当地を襲った大暴風で倒壊しましたがたが、
外郭には、10棟の櫓(二重櫓二棟、一重櫓八棟)と長さ21間(約40m)という巨大な渡櫓(多聞)をのせた東西の両大手門や御殿などが建設されました。大坂夏の陣で豊臣氏が滅んだため築城が中止され、本丸・二ノ丸などの主要部分は城代屋敷を除いて未完成のまま江戸時代を過ごすことになりました。
■1967年(昭和42年)旧城域一帯が国の史跡に指定され、城を含めた近隣一帯は上野公園として整備されており、松尾芭蕉を祀る俳聖殿や芭蕉翁記念館などがあります。他にも伊賀流忍者博物館があり、伊賀上野の観光地として各種イベントなどが行われています。藤堂高虎の高さ約30メートルの石垣や三重県立上野高等学校敷地内に武庫蔵が現存し、米倉は博物館の一部として上野公園敷地内に移築現存しています。
現在、天守台には昭和初期に築かれた3層3階の模擬天守がそびえ建っています。天守は正式には伊賀文化産業城といいます。
価格:880円(税抜 800円)
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