直江なおえ家家いえいえ系図けいず
◆
◆ ◆ ◆
女     樋口(ひぐち)兼(かね)豊(とよ) 直江(なおえ)景(かげつな)綱 長尾(ながお)景(かげさだ)貞
生没年せいぼつねん不詳ふしょう     ?〜1602 1509?〜77 生没年せいぼつねん不詳ふしょう
                北信濃きたしなのの武将ぶしょう・泉弥いずみや七朗しちろう重蔵じゅうぞうの娘むすめ。一説いっせつには直江なおえ景かげる綱つなの妹いもうとともいう。         上杉うえすぎ景勝かげかつの実父じっぷである長尾ながお正景まさかげの下級かきゅう家臣かしんであったという。 代々だいだい、越後えちご守護しゅご代だいの長尾ながお家いえに仕つかえ、景かげる綱つなも謙信けんしんに重用ちょうようされた。男子だんしがいなかったため、娘むすめを信綱のぶつなに嫁とつがせ養子ようしにする。 上野うえの総そう社しゃを本拠ほんきょとする総そう社しゃ長尾ながお家いえの当主とうしゅ。上野うえのを逐ちくわれ、一族いちぞくは越後えちごに移うつる。
                               
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
◆
◆
◆ ◆
女 女 きた 秀兼(ひでかね) 大国(おおくに)実頼(さねより) 直江兼続(なおえかねつぐ)   お船ふねの方かた 直江(なおえ)信綱(のぶつな) 本多(ほんだ)正信(まさのぶ)
生没年せいぼつねん不詳ふしょう 生没年せいぼつねん不詳ふしょう 生没年せいぼつねん不詳ふしょう 生没年せいぼつねん不詳ふしょう 1562〜1622 1560〜1619   1557〜1637 ?〜1581 1538〜1616
兼か豊ゆた三女さんじょ。上杉うえすぎ家いえの部将ぶしょう篠しの井い泰信やすのぶに嫁よめす。 兼か豊ゆた次女じじょ。上杉うえすぎ家いえ重臣じゅうしんの色いろ部べ光長みつながに嫁よめす。 兼か豊ゆた長女ちょうじょ。上杉うえすぎ家いえ家臣かしんの須田すだ満み胤たね(景かげる実みとも)に嫁かす。 幼名ようめい与よ八はち。大阪おおさかの陣じんにも参加さんか。樋口ひぐち家いえを継つぎ、1000石いしを領りょうす。 兼か豊ゆたの次男じなん。幼名ようめい与よ七なな。小国しょうこく重じゅう頼たよの養子ようしとなるが、景勝かげかつの命めいにより家名かめいを大国たいこくと改あらためる。 兼か豊ゆたの長男ちょうなんとして生うまれ、早はやくから上杉うえすぎ景勝かげかつに仕つかえた。直江家なおえけの家督かとくを継つぎ、景勝けいしょうの重臣じゅうしんとして上杉家うえすぎけの安泰あんたいに努つとめた。   直江なおえ景かげる綱つなの娘むすめとして生うまれ、初はじめ信綱のぶつなに嫁かすが、信綱のぶつなの死後しご、家名かめい断絶だんぜつを惜おしんだ上杉うえすぎ景勝けいしょうにより樋口ひぐち兼続かねつぐと結婚けっこん。 景勝かげかつの家臣かしんのひとりだったが、御お館やかたの乱らんの恩賞おんしょうをめぐる家臣かしんの争あらそいに巻まき込こまれ、惨殺ざんさつされる。 徳川とくがわ家康いえやすの側近そっきんとして使つかえ、のち将軍しょうぐん秀忠ひでただのもとで幕政ばくせいを担になう。
                           
               
◆ ◆
◆
◆
◆ ◆
女 景明(かげあき) お松まつ 本多(ほんだ)政重(まさしげ) 阿あ虎とら 本多(ほんだ)正純(まさずみ)
?〜1605 ?〜1615 ?〜1605 1580〜1647 ?〜1627 1565〜1637
兼続かねつぐの次女じじょ。若わかくして病没びょうぼつ。 兼続かねつぐの嫡男ちゃくなん。幼名ようめい竹松たけまつ、次ついで平八へいはちと名乗なのる。1609年ねん(慶長けいちょう14年ねん)、近江おうみ膳ぜん所しょ城しろ主しゅ戸田とだ氏うじ鉄てつの娘むすめを娶めとる。 兼続かねつぐの長女ちょうじょ。1604年ねん(慶長けいちょう9年ねん)に本多ほんだ政重まさしげを婿むこにとるが、翌年よくねん病没びょうぼつ。 兼続かねつぐの長女ちょうじょ。1604年ねん(慶長けいちょう9年ねん)に本多ほんだ政重まさしげを婿むこにとるが、翌年よくねん病没びょうぼつ。 大国たいこく実じつ頼たよの娘むすめ。お松まつの死後しご、兼続かねつぐの幼女ようじょとして1609年ねん(慶長けいちょう14年ねん)に勝か吉きち(本多ほんだ政重まさしげ)の継室けいしつとして入はいる。 家康いえやす側近そっきんとして権勢けんせいをふるい宇都宮うつのみや藩主はんしゅとしなるが、秀忠ひでただの代だいになり改易かいえきされ、蟄居ちっきょ先さきの出羽でわ横手よこてで死去しきょ。
TWT-JAPANトップページへ