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日本名城シリーズ1/300 広島城 とは
■中国地方の覇者、毛利元就の孫の輝元が築城した広島城を1/300サイズのペーパークラフトとして再現しました。
協力・図面提供 : 広島城
<モデラー仕様> ・古図面・実測図・復元図から設計した超本格派!ペーパークラフト ・毛利輝元が築城した広島城。現在の復元天守を忠実にモデル化しました。 ・完成サイズ:縦13.6cm 横14.7cm 高15.5cm (実物の1/300スケール) ・作成時間:5~8時間(個人差があります) ・商品仕様:A4上質紙 6枚(表紙1枚、組立図1枚含む)
広島城の歴史
■広島城は中国地方9ヶ国112万石となっていた毛利輝元により5重5階の複合連結式望楼型天守として建てられました。大天守の東と南に小天守を持ち、渡櫓で繋がれていました。
望楼型の天守は黒漆塗りの下見板が張られ、豊臣秀吉の大坂城に似せて作られたと言われます。屋根には金箔瓦が使用され、荘厳な姿をしていたと言われますが、内部は天井も張られていない簡素な天守でした。
■天正17年(1589)に築城が開始されました。川の中州の埋め立てと堀の浚渫という大工事を行う事から始まり、城の構造は大坂城を、縄張りは聚楽第を参考に作られました。
豊臣秀吉の文禄の役と同時期で、後方基地としての期待もあり築城のサポートとして、黒田如水を派遣したり、建設中の広島城へ滞在したという話も残ります。
■関ヶ原の合戦の後、慶長5年(1600)に2ヶ国に減封された毛利輝元に代わり、福島正則が入城しました。正則は、城の北側を通っていた西国街道を城下の南側を通るように変更すると共に、雲石街道を整備しました。それによって町人町が拡大しました。
しかし、幕府に無届けで修築したため、とがめられて二段あった本丸の上段石垣を破却しました。その名残を現存でも確認する事ができます。
元和5年(1619)改易になった正則に代わり入城した浅野氏が、明治まで12代250年間居城としました。
■明治期に小天守を失い、大天守のみが保存される事になり、戦前は他の現存する建物と共に旧制の国宝に指定されました。
太平洋戦争の原爆投下により、爆発時の熱線に耐えましたが、直後の爆風によって倒壊し、大量の建材が天守台や北側の堀に散乱したと言います。
昭和33年(1958)に現在の大天守が復元され、平成元年(1989)から二の丸などいくつかの建造物が木造で復元されました。
広島城の歴代城主
初代 | 毛利輝元 | 天正19年(1591)-慶長5年(1600) | |
二代 | 福島正則 | 慶長5年(1600)-元和5年(1619) | |
三代 | 浅野長晟 | 元和5年(1619)-寛永9年(1632) | |
四代 | 浅野光晟 | 寛永9年(1632)-寛文12年(1672) | |
五代 | 浅野綱晟 | 寛文12年(1672)-延宝元年(1673) | |
六代 | 浅野綱長 | 延宝元年(1673)-宝永5年(1708) | |
七代 | 浅野吉長 | 宝永5年(1708)-宝暦2年(1752) | |
八代 | 浅野宗恒 | 宝暦2年(1752)-宝暦13年(1763) | |
九代 | 浅野重晟 | 宝暦13年(1763)-寛政11年(1799) | |
十代 | 浅野斉堅 | 寛政11年(1799)-天保2年(1831) | |
十一代 | 浅野斉粛 | 天保2年(1831)-安政5年(1858) | |
十二代 | 浅野慶熾 | 安政5年(1858)-在任5ヶ月後に卒去 | |
十三代 | 浅野長訓 | 安政5年(1858)-明治2年(1869) | |
十四代 | 浅野長勲 | 明治2年(1869)-明治2年(1869) |
ペーパークラフト広島城の作り方
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